スポンサーサイト

一定期間更新がないため広告を表示しています

  • -
  • |
  • -
  • |
  • -

東大生を簡単に生み出す家庭

JUGEMテーマ:自己実現

今日の話題は「東大生を簡単に生み出す家庭」としましたが、別に受験テクニックとは関係ありません。どちらかというと意識のあり方についてお話しする「とっかかり」にしたいのですが、引いては「こころの健康」やその他に関係してくると思っています。

さて、これから書くお話、私が若い頃に雑誌か何かで読んだ物です。正確なデータの裏付けがあるわけではありませんが、ありえる話だと思っています。

あるところに、四人家族がいました。家族構成は父と母、二人の息子です。
お父さんは東大卒のサラリーマンか公務員、お母さんは専業主婦ですが、やはり東大卒。息子のうち、長男もすでに東大を卒業していて、いまは働いています。

最後に次男坊のほうですが、この子だけは東大卒ではありません。
何故なら彼はまだ高校生で、これから大学受験をするから。大学卒業の肩書きがないのは当然のことです。

この次男坊、すでに志望校は決まっています。
もちろん、日本の最難関大学、東京大学です。

ここで「最難関大学」と書きましたが、実は次男坊の頭の中には「合格は難しい」という意識はありません。
だって、お父さんもお母さんも、お兄さんまで合格して卒業しているのですから。

彼の意識の中では、父も母も兄も、いたって普通の人間です。そう、自分と同じ。
彼らと比較して、次男坊だけが劣っているという気持ちは、どこにもありません。
何年か前に、お兄さんが受験勉強を頑張っていたのは知っていますが、そうやって頑張れば東大に合格できるんだという事実も知っています。

結果、この次男坊は、端から見ていると「難なく」東京大学に合格しました。

私が雑誌を読んで得られた知識は上記のようなもので、その他の情報はありませんでした。
ここから色々と考えることは可能です。
・この家系、実はムチャムチャ頭がいい人ばかりを輩出しているので、東大合格自体に有利だったのではないか?
・ここには書かれていないけど、特別な塾や家庭教師を雇って、東大合格を確実なものにした。

でも、ここで書きたいことは、そんな裏話めいたことではありません。

そりゃあ、東大受験をするのですから、次男坊もそれなりに受験勉強にとりくんだことは間違いないでしょう。また、同じ時間だけ勉強しても全ての人が同じ成果を得られるわけではありませんから、遺伝的体質があったことも否定できません。

が、大事なのは、この次男坊の意識のありかたです。

先に答えを書いてしまいますが、この人は、「東大に合格することは難しいことではない」という意識を持っていたハズなのです。
自分の父母、そして兄までもが、きちんと合格、そして卒業している。自分から見て特別かけ離れた存在でない家庭の人々が、それなりの努力を払えば、合格出来ている。

この意識のセットが、次男坊に有効に働いていたことは、否めない事実です。

もしもの話をしますが、お父さんお母さんが長男だけを可愛がって、次男に以下のような態度を取っていたら、どうでしょうか。
「長男は特別優れた能力の持ち主で、東大に合格するのは当たり前だった」
「お前(次男)は橋の下で拾ってきた子で、特別な能力があるとは思えないから、東大に合格するなんて無理に決まっている」
橋の下で拾って来たというのは行き過ぎとしても、両親がこの兄弟の幼い頃の態度などを比較して、「兄はいつも真面目ないい子だったけれど、弟のお前は何をやらせても駄目な人間だった」という評価を与えていたら、彼の人生はどうなっていたでしょうか。

おそらくですが、このような扱いを受け続けてきた次男坊であれば、東大に合格することはなかったでしょうし、そもそも東大を受験しようという意識すら起こらなかったハズです。

ここで言いたいのは、人間の意識が、その後の結果に大きく影響するということです。
誰でも知っているであろう東京大学の名を借りて、そこへの合格という結果をモノサシとして扱いましたが、この「意識の持ち方が、その後の結果に影響を与える」ということは、人生の他の場面にも、いくらでも応用が利くのです。

東大合格というのは世間的に価値ある結果ではありますが、ここではその知名度に左右されないで、あなたの「大切な価値」に対して、あなたがどのような意識で動いているか、そのことを確認して頂きたいのです。

週刊ブログ王  人気ブログランキング

「いただきます」を言う効能

「極上の人生」を送るための心の健康。
まずは誰でも毎日できる簡単なことから始めてみましょう。

私は今年で満40歳になりましたが、他人から笑われたり奇異の目で見られたりする習慣が、すっかり身に付いています。
それが、食事のときの「いただきます」と「ごちそうさまでした」です。

最近の日本人は、自分の子供にこの習慣を教えないのでしょうか。
私は幼い頃に、今は亡き祖母から、「ご飯を食べる前には『いただきます』、食べ終わったら『ごちそうさま』を言いましょうね」と教わり、それがこの歳になっても続いています。

大好きな祖母の教えでしたから素直に従ったのでしょうが、特に拒否したい気持ちもなく受け入れることが出来ました。
祖母の説明ですが、「ご飯を食べることが出来るのは、実際には料理してくれた人がいるからだし、その材料になったお米や野菜を育ててくれた人がいるから。だから毎回食事の前には、その人達に感謝して『いただきます』、食事が済んだら『ごちそうさまでした』を言うんですよ」と言うような意味のことを言っていたと思います。

他人はこれを見て、「そんな子供の頃の習慣を今でもやらなくていいのに」と、正直呆れているのが分かります。
子供の頃の習慣を、40男がやっているのは恥ずかしいことなのでしょうか。別に、その場にいる人達にもしなさいと強要したことはないのですが。

そんな外野の目を気にすることより、この習慣を続けていて「良かった」と実感できる利点が、私にはあります。

それは、ご飯がおいしくなること。

先ほど書いた祖母の言葉ですが、これは端的に言うと感謝の表明です。
自分を生かすための食事。それに関わった全ての人に感謝を込めて「いただきます」「ごちそうさまでした」と、実際に口から出して言うのです。感謝の言葉を、毎日毎日の食事の折りに、実際の音にして発言しているのです。

感謝する気持ち、また感謝する相手がいるという事実。
理屈っぽく言えば、そういったことが、「いただきます」「ごちそうさまでした」を繰り返す度に、私の中に蓄積されて来たのでしょうか。
この頃になって、「いただきます」と言わないで食事を始めると、とても気持ちの悪い味気ない食事になってしまうことに気がつきました。
逆に「いただきます」を言ってから始めた食事は、例えそれがありきたりの物でも、いい雰囲気の料理屋でも、分け隔てなく「美味しい」と感じながら楽しめる食事になっている気がします。

ちょっと気取って言えば、「いただきます」「ごちそうさまでした」の習慣は、私にとって、いつも食事を美味しく楽しくするための、欠かせない最後のスパイスになっているようです。


さて、ここまで読んだ方の中には、「これのどこが極上の人生なんだ?」「どうしてこれが、こころの健康に繋がるんだ?」と、不思議に思われた方がいるかも知れません。
でも、騙されたと思って、この習慣をあなたも実行してみませんか?
これから少しずつ書いていきますが、この習慣の中には、あなたの人生を極上にするエッセンスが散りばめられています。こころの健康のみならず、経済的成功のためのマインドセットも秘められているんです。

ともあれ、私は強制できる立場にありません。あくまでも提案ですので、「どうせタダだし、ちょっとやってみるか」という軽い気持ちで、あなたもこの習慣を始めることを願っています。

週刊ブログ王  人気ブログランキング

「しなければならない」は捨てろ!

こんばんは。
このブログを読んで下さっている方は、「極上の人生」に興味があるのだと思います。
「極上の人生」を送るためには、身体の健康も必要ですが、精神の健康も欠かせません。

昔からよく聞く言葉に、「健康な精神は、健康な身体に宿る」と言うのがあります。
逆もまた真なりで、「健康な精神なくしては、健康な身体はあり得ない」と言ってもいいでしょう。
心が疲れ切ってしまうと、栄養状態が充全であっても、どこかしら疲れたという感覚に襲われるものです。

では、健康な精神とは何でしょうか。
これは答えを出すのが難しい問いですね。

ここでは簡単に、「生き生きと、楽しく人生を送ることが出来る精神状態」とだけ書いておきます。

私が考えるありがちな錯誤として、「真面目な性格」が、健康的な精神のあり方だとする考えがあります。
真面目というのは、本来大いに結構なことなのですが、一面、あなたの精神をがんじがらめにしてしまう恐れも秘めています。悪くすると、誰かの、あるいは何かの考えの奴隷のような状態に、あなたを置いてしまうかも知れません。

人間は、その精神に人生に、自由がなければ、生きている甲斐がありません。
さらには、自分以外の人達にも自由がなければ、バランスのおかしな世界が出来上がってしまいます。
つまりは、相互に尊重しあえる「自由な人間」としての認識がないと、どこかで誰かが苦しむ世界を作ってしまう可能性が大きいのです。

話が逸れました。

ここで言いたかったのは、「真面目な性格」が過ぎると、誰かの都合のいいようにされてしまって、あなた本来の「自由」が制限されてしまうということです。
今回は「真面目」な性格の方に、「極上の人生」を送るのであれば次の考え方は止めた方がいいですよ、と呼びかけたいのです。

「成功のために、自己実現のために」という書籍やセミナー、果てはメルマガまで、「〜せねばならない」「〜すべきだ」という、半ば強制的な言葉を使って、あなたに義務感を植え付けているようなものに出くわします。
これを意地悪く解釈してみると、「成功のためには、あなたは〜をしなければならない」と言っているように聞こえませんか。さらに意地悪に翻訳すると、「〜しないあなたは、成功できないのだ」と、脅しているようにも見えます。書いている人にはそんなつもりはないのでしょうが、真面目な人が受け取り方を間違えると、他人の考えに支配されてがんじがらめになってしまう可能性だってあるんです。

ここで今日の記事タイトルを反芻しますが、「『しなければならない』は捨てろ!」と、声を大にして言いたいのです。
「極上の人生」とは何か、それは今後、その考え方をもっと明確にして示します。が、最終的に「どのような人生が極上の人生なのか」、それを決めるのはあなたなのです。私が感じている極上の人生と同じものをあなたが受け取ったとしても、あなたはそれを「極上の人生」だと感じるでしょうか。

あなたにはあなたの人生、私には私の人生があります。ひとりひとりが違った人間であり、違った人生を歩んでいるのです。
ですから、成功や自己啓発に触れても、「しなければならない」ではなく、「これを受け入れたら、自分の人生がもっと良くなるかも知れない」という気分で触れてみて欲しいのです。
この方が精神的に楽に伸び伸び出来ますし、返って効果が高い結果を得られることがあるかも知れませんよ。

週刊ブログ王  人気ブログランキング





* CALENDAR * ×
<< October 2017 >>
SunMonTueWedThuFriSat
1234567
891011121314
15161718192021
22232425262728
293031    
* SELECTED ENTRIES *×
* COMMENTS *×
* RECOMMEND *×
* ABOUT *
* 相互リンク*
* THANKS *
* Bottle Mail *
©PETAPPA
* Advertisement *
* PODCAST-BP *
by PODCAST-BP
* SPONSORED *